100%のハッピーエンド
週末にサントリーホールにソプラノ歌手「アンナ・ネトレプコ」のコンサートに誘われていった。素晴らしい声。会場ですごい行列でみんなCDを買っているので何事かと思ったら、CDとパンフを買ったら、サインがもらえるらしく、コンサート終了後にオバサマたちがダッシュでサインの列を作っていた。
どこでもファンの行動は同じだ。
さて、ネットのニュースでこの前の月9「この恋を思い出していつか泣いてしまうかもしれない」が月9史上最低視聴率だったと知ったけど、こういうニュース、すごくいやだな。
ソプラノ歌手「アンナ・ネトレプコ」のコンサートはサントリーホールだった。東京ドームではない。東京ドームでは動員できない(できるかもしれないけど)から、ネトレプコは、エグザイルやSMAP以下の価値しかないなんて、誰も言わないだろう。
例えば、黒澤明の映画を月9の時間に流したとして、たぶん、そんなに視聴率は取れないだろう。「東京物語」とかそんなしんみりしたものを流したとしよう。だからといって、黒澤明は「イッテQ」以下だとは言わないだろう。
だから、せっかくの「この恋~」の音ちゃんと錬くんの切ない恋の余韻にひたっているときに「でも、視聴率は低いからね(いいドラマじゃないわけだよね)」的なニュースは頭にくるだけだ。
せっかく好きなドラマが、評価されないのは、悲しい。
「この恋~」は派手ではなく、ストーリーもゆっくりで、心理描写を大切にする進行だから、見る人を選ぶドラマだ。
好きなドラマだったのだけど、ラストの余韻が残るラストだけど、
でも、考えてしまう。
どうして、100%のハッピーエンドにしてくれないのだろうかと。
あの二人は、遠距離の恋愛になって、その後、いろいろな困難が予想できる。お金がない二人には、東京と北海道はとても遠いだろう。
だったら、どうして、そんな終わりにするのだろうか?いつも二人が近くにいて、幸せになれるラストにしてくれないのだろうか?
100%のハッピーエンドにするのは、シナリオライターとして恥ずかしい行為なのだろうか?でも、二人が幸せな姿で終わると、安心して二人から目を離すことができる。
それとも、100%のラストにしないことで、続編が書けるのか?
いや、そうでもないだろう。
きっと、100%のハッピーエンドは、芸術的に評価が低く思われがちだと思ってしまうのだろう。余韻も深く残らない、と判断しているのかもしれない。
月9だと「恋仲」「9時から5時まで」「デート」と気持ちいいいハッピーエンド(主人公二人からみて)なのに。
心の中で、音ちゃんと錬くんの幸せなラストを想像しながら、ドラマは終わり。
頭にくる視聴率ニュース、どうにかならないかな。
気にしなければいいのだけど、そのニュースのおかげで、音ちゃんと錬くんが「ごめんなさい。視聴率とれなくて。だから、もう東京へは行きません」って泣いているような気がしてしまう。