視聴率というバカな指標
ヤフーニュースによく載り勝ちなテーマで
ドラマの視聴率のテーマがある。
何のドラマが視聴率がよかったとか、悪かったとか。
月9が最低を更新したとか、何がよかったとか。
目にするたびに、「バカだな」と思ってしまう
まだ、視聴率とかで騒いでいるヤツがいるのか。
今、リアルタイムでテレビを視聴している人たちは
多くがご老人だろう。だから、老人向けの「笑点」やテレビ朝日の刑事モノのドラマは視聴率をとる。
若い人たちは、テレビをそんなにみていないから、その人たちをターゲットとしたものはそれほど数字をとらない。
その前提がある
それに、「みんなが見ているものはいいものである」という前提が視聴率で騒ぐ人の前提となっている。
民放の広告モデルでいくと、そこで広告をみてもらっているという今となっては疑わしい前提があって、だから、みんなにみてもらうために、視聴率の高さが必要とされる。
さて、この疑わしい前提。
まず。「みんながみているもの」は、いいものか?
まあ、それはみんながみているものだから、ターゲットが広いものだろう。ターゲットが広いものは、たいてい、「薄い」ものだ。あるコアなターゲットに向けて深く切り込むものではなく、薄く広く。そういうものは、概して記憶に残らないだろうし、その場限りで消費されるだけの番組だ。
そういう薄い視聴の時の広告はどうなのか?
深い視聴をされているときと薄い視聴をされている時、どちらが広告が覚えていられるのか、というとそれはわからないけど、
番組とすると、深い視聴をされているほうが圧倒的に素晴らしいと思う。
番組の効果とは、その後にわたって長い期間に影響を及ぼすものであると思うので、
深く深く、心に刺さるほうがたぶん、コンテンツ価値は高い。
それを、うすいターゲットにその場に受けいられた数を表す「視聴率」をもっともらしい評論をする人たちを「まだそんなことを言ってるヤツがいるんだ」とびっくりしてしまう。
コンテンツの価値は、多くの人に見られたという述べ人数ではないと思う。
どれほど、深く残り、影響をおよぼし、刻み込まれているのか、ではないだろうか?
もちろん、タイプもある。その場で笑っておしまい、のものもいいだろう。気軽にみられる刑事ドラマもいいだろう。悲しい思いは決してしないドラマだ。
しかし、今後は広告モデルがうまく機能しなくなってきているので、コンテンツで儲けていかなくてはならない。コンテンツをマルチユースしていく。それにおいては、深い深い視聴を刻み付けたコンテンツのほうが、価値があることは、疑いもないだろうと思う。
みんなに受けいられられなくても、その人にどれだけ深く残せたか。
マッチングの問題だ。それこそロングテールのモデルだ。
視聴率ネタをヤフーニュースのトップにもってくるセンスにも頭に来たりする。
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