推しがいるということ。

日ごろかんじたエンタメまわりのことを!ジャニーズに偏るのは個人的嗜好です。

堂本光一の孤独を思う

昨夜は「ベストヒット歌謡祭」でのトリと、NHK「SONGS」と

キンキキッズの日だった。

 

もう20年も彼らを見続けていて

とっても感慨深かった。

 

きれいな少年をみかけて、ファンになった

それが「堂本光一」だった。

それからしばらくは、私の頭の中は、いつも「光ちゃん」でいっぱいだった。

剛ファンの人の気持ちがわからなかった。

光ちゃんが最高なのに」って。

それが、剛ファンの気持ちがわかるようになってきた。

剛のアーチスト性。剛のファッション性。

剛の自由なかんじ。剛のゆるやかな雰囲気。菩薩性。

懐の大きさとおおらかさと、それでもって、繊細さと。

剛はアーチストになっていった。

ものすごく美しい声を持つ、天才肌のアーチストになっていった。

もちろん、彼は、繊細な心ゆえに、ものすごくつらい時期を迎え、それを超えてきた。

そのエピソードも、彼の天才性を後押しすることとなった。

 

しかし、その隣で、

光ちゃんは、いつもいわゆる「優等生」だった。

太りもしないで、きれいなスタイルを維持し、剛のアップダウンを支えていた。

自分の役割をきちんとこなしていた。

光ちゃんからは、「自由さ」はかんじなかった。

それは、光ちゃんが、苦しそうな顔で歌うこと、そしてその時に浮き出る首筋の血管に象徴された。

 

天性の天才を支える努力の人、として光ちゃんは映った。

 

世の中の人は、たいてい、天才が好きだ。

画家を考えてみたってそうだ。

光ちゃんは、一生懸命、書き方を学んで、それを実行する優等生の画家で、

剛は自由に絵をかいていく人に見えた。

アマデウスモーツアルトが剛なら

サルエリが光ちゃんみたいな。

 

実際はわからない。たぶん、それは違うのだとも思う。

光ちゃんが作詞ではなくて作曲担当なところに、

もしかしたら、世間のイメージは間違っているのではないか思う破片が入っていると思う。

実は、光ちゃんは、すごく器の大きい人間で、あえて、努力しているふりをしているのではないか?という妄想させる。

 

光ちゃんは、せっかくコンサートに行っても、

ファンに対して「老けたなあ」と毒気づく。

それを最初は腹立たしくなっていたが、

最近は、それは光ちゃんが自分に対して持つ不安の現れだと思うようになってきた。

アイドルでいるための若さが失われていく孤独というか、懸念というか、そういうものがその発言をさせているのだろうと。

 

光ちゃんを見続けて20年。

これだけはわかる。光ちゃんは、自分の役割を完璧にこなそうとする人だ。

それが彼をややこしくさせて、こじらせていると。

でも、ファンはその部分を愛していると。

 

年末が近づく。kinkiの季節がくる。

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